使わなくなったお金の価値
最近ふと思った。
東京で働いてた頃って、今より給料はずっと少なかったのに、
なぜか何も考えずにお金を使ってた。
理由はシンプル。
街が便利すぎたのだ。
コンビニに寄ればスイーツ、駅ナカにはスキンケアの新商品、ドラッグストアには
「今だけ○○%オフ」。
“ちょっとだけ”のつもりが、気づけば財布が軽くなっていた。
あの頃の私は、いろんな「ついで買い」の天才だったと思う。
一方ここ、ラシオタ。
店なんて港町にだけ少しあるだけで家の周りは全くない。
誘惑ゼロ。
もはや散歩中に寄り道しようにも、寄る場所がない。
最初は不便に感じたけど、今ではその「何もない」が心地いい。
もちろん、ネット上には誘惑がある。
でも最近は、買う前に一日置くようにしている。
次の日になってもまだ欲しいと思えるものだけを買う。
一晩経つと、意外と「別にいらないな」って思うものが多い。
そうして我が家に迎え入れられるのは、選ばれし“必要なもの”だけ。
小さい家だし、物を増やしたくない。
私の服もまだまだ多いから、少しずつ手放し中。
結果的に何が起きたかというと──
東京時代より収入は増えたのに、お金は使わなくなったってこと。
というか、使いたいと思う瞬間が減った。
それよりもっと大事なものにたくさん使うようにしている。
自然の中で暮らしていると、「買う」より「あるもので暮らす」ほうが楽しいと気づく。
便利さは確かに快適だけど、便利じゃないから見えてくる“本来の価値”もある。
お金の使い方が変わると、時間の使い方も変わる。
そして、その静けさの中にこそ、いちばん贅沢な暮らしがあるのかもしれないと思う。
まさにお金を使わずに贅沢しているって理想的な生き方だな。
──今日もラシオタの森の風の音を聞きながら、ゆっくりコーヒーを淹れている。
何も買わなくても、ちゃんと満たされているって、最高!
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